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チャシとは

更新日:2022年6月2日

チャシとは

チャシとは、砦、館、柵、柵囲いを意味するアイヌ語です。

旧記に見えるチャシ

文献史料上は、享保16(1731)年成立の弘前藩官撰史書(ひろさきはんかんせんししょ)『津軽一統志(つがるいっとうし)』の中で、シャクシャインの戦いに関して記録されるのが初見です。
明治の北海道史の権威である河野常吉(こうのつねきち)は、『津軽一統志』をはじめ、天明元(1781)年成立の『松前志(まつまえし)』、同4(1784)年成立の『東遊記(とうゆうき)』、文化5(1808)年成立の『渡島筆記(わたりしまひっき)』、明治6(1873)年刊行の『東蝦夷日誌七編(ひがしえぞにっしななへん)』など、旧記が伝えるチャシについて総括し、「アイヌの砦であることは寸毫(すんごう)の疑いもない」として、「アイヌの城砦(じょうさい)」としました。

口頭伝承に見えるチャシ

アイヌの口頭伝承では、「英雄の居館」、「神の家」などとして語られています。高い山の上にあり、柵で囲まれているということです。静内地方のアイヌ口頭伝承の語り手として知られる織田ステノさんのユカの中でも、「館」、「家」として語られています。

チャシの用途

当初、チャシは「アイヌの城砦」とされましたが、その後の研究で、戦闘用とするにはあまりにも規模の小さいものがあることや、城砦とは別の用途があったことをうかがわせる口碑・伝説なども明らかになり、見張り場、儀礼・儀式、談判等、城や砦とは別の用途があったことも考えられています。

チャシの立地と形態

チャシの多くは海や川、湖などに面した急峻(きゅうしゅん)な地形上に位置し、そこには、壕(ごう)と呼ばれる溝や郭(くるわ)と呼ばれる盛土で区切られた空間があります。形態としては、四型式に大別されます。岬や丘の一端を壕で区切った丘先式(きゅうせんしき)、崖に面する台地の一部に壕をめぐらす面崖式(めんがいしき)、丘の頂部に壕をめぐらす丘頂式(きゅうちょうしき)、湖中や湿地中に孤立している丘や島などをそのまま利用した孤島式(こじましき)です。ほかに、平地式や複合式もあります。

 チャシ跡の形態(北海道チャシ学会1990「北海道におけるチャシ跡遺跡一覧表」『北海道チャシ学会報告』5)

チャシの年代

チャシの構築年代、使用時期については、旧記の検討から、17世紀中頃に最も多く使用され、18世紀に入ると衰微し、18世紀末にいたって消滅するといわれています。このことは、発掘調査の成果とも矛盾するものではありませんが、13世紀の年代を示すチャシの報告例もあります。

チャシの分布

チャシは、アイヌの人々の歴史を解明する上で重要な遺跡です。北海道内に500か所以上あり、北海道南東部に密に分布しています。分布はコタン(村)と密接な関係にあったと推測されています。

 チャシ跡の分布
 北海道教育委員会ホームページ「北の遺跡案内」から作成
 http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/kitanoisekiannai.htm

お問い合わせ

教育委員会教育部 文化振興課 博物館


電話:0146-42-0394

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